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2007年11月09日

ドキュメンタリーの歴史って…。。

知りませんでした。こんなことが起源になっているんですね。


ドキュメンタリーの歴史は映画と共にはじまった。リュミエール兄弟による歴史上最初の映画「工場の出口」(1895年)は、その名の通り工場の出口にカメラを設置して、従業員らが出てくる様子をワンショットで撮影しただけのものである。それにつづき「列車の到着」(1896年)では観客はスクリーンの映像を現実のものと見間違えて大騒ぎしたという。これらは上記の定義においてはまさしくドキュメンタリーである。(被写体となった群衆のなかにリュミエールらが仕込んだ関係者が含まれることは映画における史上最初の演出とも云われる。)リュミエールらが撮影したその他の映像(家族で会食している場面など)も一種の記録映画と言える。

初期の映画においては世界各地の風景が盛んに撮影され、大衆に向けて興業された。これも紀行ドキュメンタリーのさきがけともいえる。

しかしながら、初期の映画においてはフィクション・ノンフィクションの境界は曖昧であり、のちに生まれる様々なジャンルへは未分化に状態にあった。この段階ではただ映像が映っていること、物珍しいものが映っていることに観客の関心が始終した。(この流れの中で、演劇を固定カメラによって撮影した映像から劇映画が生まれていくことになる。)


パイオニアたちの時代
やがて映画という媒体の持ついくつかの可能性がはっきりするなかで、記録媒体という要素を重視しながら自らの問題意識を作品に投影する意志を持った制作者が現れてきた、ドキュメンタリーの父と言われたロバート・フラハティ(アメリカ、1884?1951)やヨリス・イヴェンス(オランダ、1899?1989)、ジガ・ヴェルトフ(ソビエト、1896?1954)などがそれである。

フラハティは代表作である「極北のナヌーク(極北の怪異)」(1922年)を、イヌイットナヌーク一家と一年間共に生活しながら制作した。イヴェンスは当初「橋」(1928年)や「雨」(1929年)によってアヴァンギャルド映画作家としての評価を得たが、これらの映像制作はその後の一貫した記録映画作家としての活動の序章となっている。ヴェルトフは代表作「カメラを持った男」の制作などを通して、現実の徹底的な記録を至上とする記録映画主義「映画眼」を提唱し、後の記録映画作家達に影響を与え続けている。

こうした1920年代の成果をもとに1930年代にいたって、イギリスの記録映画作家グリアスンらが提唱した「英国ドキュメンタリー映画運動」など、映画のもつ教育効果、宣伝効果を利用して社会を変革する意図をもった映画制作が隆盛した。現代の「ドキュメンタリー」という用語はこの運動が発祥とされる。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)
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